2013年11月11日

ついに?やっと?





馬くんも 冬支度です。

明日から ぐぐっと気温が下がり 木枯らしが吹くと 脅されたものですから。

そういったって 南国九州。まだまだ 薄手の馬着(ばちゃく)で OK.

以前 真冬用を着せたら 汗かいてましたから。







冬といっても 最低気温がマイナスになる日は 数日のみ。

昼間は20度近くまで上がるので 着せたり脱がせたりと けっこう面倒(+_+)

これから 北国にお住まいの方は 大変ですね。

どうかお気をつけて。










馬から教わることがいっぱいあるんです。
詳しくは「ホースランドひがしせふり」のホームページで!
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Posted by どろんこハリー at 01:26 | Comments(4) | ・うま
この記事へのコメント
おはようございます(o^^o)

我が家も、コタツ設置しました( ^ω^ )
コタツ、あったか〜い♡
しかし、コタツネコ(ブタ子?)にならない様に…、クワバラクワバラ(汗)

馬着って、素敵ですよね♡
馬くんがイケてるからより似合うのかな( ^ω^ )
しかし、洗濯は大変そうですねぇ(汗)
大きな子沢山のハリー母さん、お察しします〜(^◇^;)
Posted by みみ at 2013年11月11日 06:53
私が通っているクラブも二週間ほど前から馬着を着せています。昨日手入れの後で、まだ午後2時前だったけれど着せました。

九州でも北九州の平均気温は東京とさほど変わりませんが日が長い分(日没が40分くらい遅い)夏の夜が暑かったのを覚えています。

この夏行った北海道千歳の乗馬クラブのOさんは、前にも書きましたが、数年前福岡から馬を連れて千歳に移った。二年目の冬になると冬毛が伸びて馬着が要らなくなった。着せると汗をかいつしまうので止めたそうです。馬の適応力はすごいですね。

余談ですが、ドイツの野生馬のドキュメンタリー番組を見ました。絶滅寸前となったのである大貴族が自分の広大な領地を提供し保護している。保護区内では人の出入りは禁止し野生のままの生き方を守っている。

世の中にはこういう偉い人がいるのですね。

タヒと呼ばれるモンゴルの野生馬と似ていました。ルーツが同じなのかも知れない。妄想を膨らますと、ジンギスカンの時代、その後継者たちはヨーロッパのハンガリー、ボーランドまで来たので、モンゴル馬が野生化したのかも知れない。
Posted by ジュリ at 2013年11月11日 08:00
ジュリさんが先日杉原千畝氏のお話をしてくださいましたが、
今日、偶然手にしたフリーペーパーに杉原千畝氏のことが書いてありました。
そして杉原氏が発行したビザを所持したユダヤ人を、ウラジオストックから日本へ移送し続けた大迫辰雄氏のことが書かれていて、杉原氏と大迫氏はまさに慈悲の心が溢れた人だ、と結んでありました。

なんか最近素敵な偶然が多いですね。
Posted by どろんこハリー at 2013年11月11日 22:27
ハリーさん

杉原千畝さんが発行したビザは省令に違反して出されたものだから無効であるとして外務省はそのビザを使わせまいとした。名前は忘れましたが、それに抵抗して「いったん、日本国外務省が発行したビザを無効とするなら国際的な信用が失墜する」。という理屈を楯にしてユダヤ人を助けた無名の外交官もいました。大迫さんも船会社でユダヤ人の輸送を担当した陰の功労者のひとりです。

赤の他人のために社会的生命を犠牲にした立派な日本人!

真珠湾攻撃が卑怯な騙し打ちとしてアメリカ人が憤激し、それまでヨーロッパの戦争にも太平洋戦争に参加拒否していた国論が一夜で変わり日米戦争に突入した。

真珠湾攻撃が始まる一時間まえに通告を伝えるように、首都のワシントンDCの日本大使館員には事前に、極めて重要な電報がいくから徹夜で待機しておくらべしと本国が指示があったのに、かれらは呑気にも誰かの送別会を遅くまでやった。朝になって大量の暗号電報がとどいていていたので慌てて翻訳をしたが、間に合わず開戦通告が一時間も遅れ、汚い騙しうちだとアメリカ人をふんげきさせてしまった。

この大使館員たちの処分は鶴首くらいでら済まないと思いきや、何と全くお咎めはなく、彼らは皆、戦後 外務省で登りつめたのです!
キャリア組の超エリートだったからです。

腹が立つし長くなったのでこの辺ちで。
Posted by ジュリ at 2013年11月12日 00:19
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